更新されるのか?2012エベレスト日記!
 
 
 
 頂上の中国人
 カトマンズにもどり(荷物は未だルクラです。)中国隊が登頂写真を送ってきました。その後、5/25も晴天が訪れ、多数の登頂者を迎えた2012年春のエベレストでありました。北面からは渡辺玉枝さんが最高齢女性登頂者となり、ガイドの村口さんは通算7回目のエベレスト登頂を果たされました。おしまい。 (5/31)
 
 
 今年もたくさんの人がヘリでエベレストを後にしました
20日に登頂したAlpine Ascents隊がトライアングルフェース(バルコニーの下)で中国人1名の遺体を発見しています。後日わかったことですが、実は、亡くなった中国人を含め3名が登頂していたとのことです。彼らのレスキューにわれわれの酸素を使い果たしたことを考えるとちょっと、いやかなりむかつきますねぇ! ちなみに登頂できなかった1名の女性はレスキューされてサウスコルに戻ったときにペンバたちに石を投げつけ、差し出したお茶をぶっ掛けたそうです。彼女だけが登頂できなかったのでその腹いせだったのでしょう。さらにむかつきますね。われわれもこの日BCに下山しました。 (5/21)
 
 
 敗退
 というわけで今回の登山はサウスコルが最終到達点になってしまいました。中国人はC2へ戻りそのまま、われわれと顔を合わせるのを避けるようにヘリで下山していきました。BCまで徒歩で降りた中国人も、BCにいたスタッフもすべてへりで帰っていきました。レスキューに対するお礼の言葉は一言もありませんでした。ヘリ代払えるのなら、酸素代払えといいたいです! (5/20)
 
 
ジェネバスパーを回り込みサウスコルへのトラバース 
 風が強いのですが、天気予報を信じてサウスコル(C4,7980m)に上がることに。昨日よりは人が少なそうですが、かなりの人数がC4を目指しC3を出発しています。ローツェフェースは雪がちゃんとついていて落石はひとつもありません。今年のイエローバンドは岩が露出していて手こずると心配していましたが、意外にも雪がべっとりでかなり良い状態です。空は青く快晴です。しかしこの風はちょっとやばいかもしれません。午後早くサウスコルに到着。でもなんか様子がおかしいです。南峰直下には行列が!!そしてサウスコルから降りてくる人が異常に少ないです。登頂日はほとんどのチームがC2まで下山するのが普通ですが、すれ違ったのは10人くらいでしょうか。それもシェルパばっかりです。早い人は朝の8時にはサウスコルに戻りますが、ちょっと何かが変です。風はますます強まり夕方には頂上から雪煙が右側に長く尾を引いています。これは風速30m/秒以上です。午後8時にアタック開始を予定していましたが、風が強すぎるのでしばらく待機することに。それにしてもキャンプをシェアする中国人3人がまだ帰ってきません。彼らのC3は無事だったため、予定通り本日アタックしています。一人は午後早くにC4に戻り、そのままC3へ降りてゆきました。(彼はC3までなんと13時間かかっています。翌日もC2まで12時間くらいかかっています。普通はC4→C2は登頂後でも3−4時間です。)いやな予感がしてきました。予定では中国隊はその日のうちに全員C2に降りることになっていたので、そのテントにわれわれが入ることになっていました。それがかなわなくなった今、日本人3人とインドネシア人1名の4名がひとつのテントに入ることに。まあ暖かいのはいいのですが、寝袋も2つしかありません。そうこうしているうちに中国人2名がバルコニーで動けなくなっているという情報が!サーダーのペンバがレスキューに行ってもいいかと無線してきました。この頃の風はさらに強まっており、テント間でも無線機を使わないと会話ができない状態になっていました。人命にかかわることなので、Goサインを出します。シェルパと2名の中国人がサウスコルに戻ったのは午後10時を回っていました。さてもう一人の中国人はどうしたのでしょうか?行方不明です。彼に付き添ったシェルパは、彼のための酸素ボンベを2本背負っていましたが、歩く速さについてゆけず、途中で引き返してしまったそうです。とんでもないシェルパです。彼は去年も使えなかったので、クビにしたのですが、シェルパは親戚同士がほとんどで、だめシェルパも使わなければならないという事情があるようです。でもそういうシェルパはせいぜいアイスフォールの荷揚げに使うべきですね。そして深夜の12時。強風ですが、20名くらいの登山者がバルコニーに向けて歩いています。シェルパに出発の可能性を聞いてみると、中国人のレスキューのため酸素を使ってしまったとのこと。風もかなり強かったので登頂を中止と決定しました。(この日20日もAlpain Ascents隊は登頂しています。)
ところで19日の成果はどうだったかといいますと、300人以上が頂上を目指し、200人近くの人が登頂したそうです。強風と大渋滞から凍傷になった人多数、死者4名〜6名。死者の中には前出の中国人1名も含まれています。サウスコルから頂上往復に24時間以上かかった人が多数いたそうです。おまけにヒラリーステップのフィックスロープが外れてしまい、渋滞に拍車をかけたという話も聞こえてきました。これはかなり異常な状態ですね。フィックスロープの完成が登頂前日の18日になってしまったことがこの大渋滞の原因のひとつではないでしょうか。また天気予報も信頼性を欠くものでした。 (5/19)
 
 
酸素は足りるのか?(C2にて) 
 6人のクライミングシェルパのうち2名を失った今(カミは頭部裂傷、ダワは顎をやられて今朝下山していきました)、4名のシェルパが残りました。午前中に飛ばされた酸素やらその他のギアを捜索に向かった彼らから吉報が。酸素ボンベを7本発見したという。これで20日を登頂日としての登山続行が見えて来ました。午後3時にC2を出発。7時前に新C3着。風が強いです。途中アルデシールが脱落。どうもたちの悪い風邪をBCでうつされてしまった様です。インドネシア隊は新婚のファジリーを残すのみとなっってしまいました。 (5/18)
 
 
 落ちてきた氷のひとつとつぶされたテント
今日は19日登頂を目指してC3に上がる予定。午後遅く出発することにしてシェルパを送り前回たたんで来たテントを設営することに。ここでアクシデント発生。なんとC3がセラックの崩壊の直撃を受けて壊滅。我が隊のシェルパ、カミがテントの中で作業中ブロックの直撃に合いました。Jagged Globeのシェルパはもっとでかいのを食らって重態。早速ヘリを要請してC2前の氷河上に作られたヘリパッドで待機。カミは頭部裂傷だけのように見受けられましたが頭部を氷で強打しているためヘリに乗せる事に。昨年からここC2(6450m)へもヘリがこれるようになったのは良いことだと思います。反面ヘリ代は18000ドル也!シェルパの保険は4000ドルしかカバーされないため、残りはすべてかぶることになるでしょう。あー!まあ我が隊に死者がでなかったので登山は続行ということに。しかしC3にデポしてあった酸素ボンベ13本がなくなってしまいました。テントなどは何とか工面できそうですが、酸素ボンベだけはHimex隊無き今、他の隊からのおこぼれを頂戴するしかないのでしょうか。酸素一本500ドルとして6500ドルの出費となるのか?  (5/17)
 
 
 C2でのKazuuuuu!
C2にて休養日  (5/16)

 
 
 ポップコーンを行く
天気予報は5/19が晴天とのこと。問題は18日までに頂上までのルート工作が完了するかどうかです。また大量の登山者が予想されるので、フィックスの具合によっては大渋滞が考えられますね。20日もまあまあとの予報ですのでもしかしたら20日にしたほうが渋滞が少なく、またフィックスの不具合も解消されるかもしれませんね。夜中にBCを出発しアイスフォールを通過、C1へ。所要6時間ですからまあまあのペースです。インドネシア隊のリーダー、アルデシールの体調が思わしくありません。C1で1時間ほど休憩。どん兵衛をつくり体を温めます。C2へのスピードが上がりません。結局5時間以上かかってC2へ。 (5/15)
 
 
 我がテント危うし!
危惧していた大岩が落ちてきました。夜中に落ちてくる「正夢」を見ました。中央の大岩の右下のテントが私のテントです。思ったよりも早く落ちてきました。ところで明日の午前1時にアタック出発ということに決まりました。乞うご期待!登頂予定は5/19です。どもども(5/14)
 
 
 himex隊はキャンプ撤収に大忙し
なんと2004年に北面から一緒にエベレストに登頂した金髪のセシリアがHimexキャンプに。Himexが撤退したために我が隊で登ることに。またスタッフミーティングですね。無酸素登頂を目指すとか!さあ、この後の報告は27日頃になります。登頂のチャンスは19日と24日みたいです。 (5/13)
BCにて休養 (5/12)
BCにて休養 (5/11)

 
ロッシ発見
Himex隊の最後のスタッフミーティングに呼ばれました。途中、ロッシーに遭遇。Himex周辺ではハリウッドとよばれているそうな! (5/10) 
 
 BCに下山しました(5/9)
 
 
 エベレストC3(7300m)からのチョーオユー
 眠れない夜をすごし、C2へ下ります。昨夜の雪でローツェフェースはますます安定してきました。ヘンリートッド、パタゴニアブラザーズ、セブンサミッツ、マウンテントリップ、アルパインアセンツなどの有力公募登山隊がサウスコルまでのフィックスロープ工作に精を出しています。ちょうどフィックスの脇にテントを張ったわれわれは、せめてお茶くらいでもと彼らの疲れたからだの水分補給に貢献しました。(100倍楽ですけど!)(5/8)
 
 
 ローツェフェースを行く
 雪もやんで、灼熱地獄!今日は最終順応C3(7300m)に一泊旅行に!迂回ルートは出だしがブルーアイスの垂壁!なかなかしんどいです。雪が降り出す中無事C3に着いたときには結構みんなよれよれでした。でも食欲旺盛ですね。がーん馬!この日がエベレスト登山で一番ハードです。なぜって、アタックのときはここから酸素を使います。ごっつぁんです。(5/7)
 
C2のキッチンでくつろぐ?インドネシア隊 
 本日は雪のためC2で停滞。雪がもっと積もってローツェフェースが安定しますように。残念なお知らせがひとつ。メンバーのひとりAngel Faceさんが下山することになりました。(5/6)
 
 
 C2を見下ろす
 中国隊の天気予報とは裏腹に今日は快晴。ローツェフェースの新ルートをちょっと偵察に。新ルートは通常ルートが落石にさらされているための迂回ルート。標高6800mからフィックスロープが始まります。(5/5)
 
 C2からローツェフェースを見上げる
 昨夜からの降雪でだいぶローツェフェースにも雪がつきました。懸念されている落石が減るとよいのですが!今日はC2で完全休養です。(5/4)
 
 ウェスタンクームの氷原をC2目指し進みます。ロブチェピークの頂上キャンプ(6000m)で一泊していますので、みんな高度順応はまあまあです。4時間で全員C2に到着。梯子の数も長さも昨年の比ではありません。最長が2連です。そよ風の吹く快適な日でした
(5/3-2)
 
キャンプ1にて,奥はローツェ。左にエベレスト南西壁(撮影Bicky)
昨日はC1(6100m)に一泊。日の出後のC1は通常灼熱地獄になるのですが、今回は強風が吹き荒れていたためかなりラッキーです。暑くないC1の24時間を過ごすことができました。本日はC2(6450m)へ向かいます。南西壁の麓がC2です。(5/3) 

 
 
 アイスフォールギャラリー 
 
 アイスフォールを行くBicky
深夜の00:30BCを出発。暗闇のアイスフォールに突入。 30年ぶりの悪い状態と言う人もいれば、この10年でいちばん易しいという人もいます。私的には一箇所を除いて非常に登りやすく安定しているという印象(この4年間だけの比較)。しかしその一箇所がやばいですね。2006年、登頂した三日後に崩壊したアマダブラムのダブラムのような氷の塊がルートの真上に聳えています。これを致命的と見るかそうでないかは人それぞれ意見の分かれるところだと思います。まあ安全ではないことは確かです。しかし、危険だから登れないということになると、もともと、エベレストのアイスフォールは登れないということになってしまいますねぇ!(5/2)
 
 今朝の我がBC
今夜(5/1 00:30頃)から最初で最後のアイスフォールを通過する高度順応に出かけます。一週間の予定でC3(7300m)に一泊することを目標にします。(4/30)
 
 2連の梯子を渡るインドネシア隊リーダーのアルデシール
明日からの最終高度順応に向けてアイスフォールの梯子トレーニングに。今年の最長ラダーは2連ということで気楽に行きましたが、明るい時間帯はクレバスの中が丸見えのため結構楽しめます。 (4/29)
 
 ローツェフェースは落石の嵐
 暖かいのと雪があまり降らないローツェフェース。(右上の日が当たった岩壁がローツェの頂上岩壁。いわゆるローツェフェースはその下の氷雪壁のことです)落石が後を絶ちません。落石にやられたシェルパも出ています。ヘルメットは必須の状態です。キャンプ3までのルートの迂回も検討されています。(4/28)
 
 今年は暖かいと言っても
いまさら温暖化の性かどうかわかりませんが、今年は気温が高いですね。BCに入った日から地面を水が流れています。地面といっても氷ですが。例年(2009-2011)は4月中はかなり震えてすごすBCでしたが、今年はそうでもないでね。テント内の気温も明け方の一番低いときでマイナス10度です(4/29現在)。外気温もマイナス15度程度でしょう。朝7時過ぎにテントに日が当たるとたちまち天国になります。アイスフォールの動きが活発なのもこの暖かい気温のせいでしょうか?今日はプモリC1までのハイキングに行ってきました。(4/27) 

 
 名犬ロッシー(pix by Jimmy Hendrix)
 昨日姿を現さなかったロッシー、BCのはずれでピューリッツァー賞並みの被写体になってくれました!Jimmyに突撃してきたヤクに立ち向かいます。老犬死さず!!

ところでエベレストですが、アイスフォールの状態が悪いのでアイスフォール越えの高度順応は一発で決めることに決定。5月1日から1週間の予定でC3(7300m)に一泊することに。
危険箇所を速やかに通過するためにあと2回のプモリC1(5900m)デイハイクをします。C1では3G電波が入るため、HPの更新もできるというおまけつきです。(4/26)
 
 
   下の写真のセラックは見事に崩壊し、もしそのとき下を通過している人がいたらまず飛ばされていたでしょう。

午後、Himex隊ローツェ組みの石川直樹カメラマンとガイドの田村氏が遊びに来ました。このエベレスト日記はたぶん読んでも良くわからないところが多いと思います。わからないときは石川直樹著、
「For Everest」を読むことをお勧めします。なかなかわかりやすく説明されています。写真も豊富です。手数料をもらってるわけではありません、念のため。今年のローツェ遠征もオンタイムでブログアップされていることでしょう。

   
 昨年の登頂のお守り羊羹をお土産に持ってきてくれました。
(4/25-2)
石川直樹氏のブログは http://www.littlemore.co.jp/foreverest/  
 
ヘリコプターは毎日のようにBCに飛来します。我がBCはヘリパッドの真横です(ちょっと危ない?)今朝もHimex隊のアメリカ人が帰っていきました。病気でも怪我でもありません。エベレストを見て怖くなったそうです。アメリカ人にこの種の人たちが多い気がします。情報過多のこの時代、情報をふんだんに頭に詰め込んでエベレストにやってきますが、実際の山が自分の想像を超えていたのでしょう。ヘリをチャーターして帰っていきました。こういった決断の早さもアメリカ人の特徴のような気がします。この撤退の決断の速さはたぶんいいことだと思います。自分の能力を超えているのに粘りに粘るよりはよっぽど安全です。日本人は後者の傾向にある気がします。アメリカ人に見習う点あり、かも知れませんね。それにしても今年のアイスフォールはちょっとやばいです。異常に左に寄ったルートが左の写真です。過去三年間のアイスフォールでの死亡事故は、アイスフォール自体の崩壊でなく、左の壁からのセラック崩壊が原因です。

こんな状況でもルート工作と荷上げは着々と進みます。4/26日にC2までのフィックスロープの荷上げが完了し、5/8くらいに頂上までのフィックスが完成する予定です。(4/25)

今朝のアイスフォール。巨大セラックの下には沢山のシェルパたちが! 

果敢にヤクを吠え立てるロッシー 
ロブチェピークでの高度順応を終え、エベレストBCに戻りました。エベレストBC周辺はロッシー(ロシナンテ)のテリトリー。トレッカーの集まる丘の上にロッシー発見。なんとなくうれしくなります。意外とエベレストBCの主かもしれないですね。通りかかるヤクを威嚇する姿はけっこう貫禄があります。ヤクは動けなくなり、道を譲ります。ロッシーに拍手。夕方Himex隊でミーティング。Himex隊もほぼ全隊員がBCに結集した模様。エベレスト隊、ローツェ隊、ヌプツェ隊、トレッキング隊で総勢50人オーバー。それにシェルパとガイドを合わせると100人規模の大部隊です。緊急のミーティング。アイスフォールの状態が良くありません。「ポップコーンフィールド」付近のルートが今年は例年になく左に寄っていて、西稜の肩に引っかかっているセラックの真下を通らなければなりません。Himex最強のガイドAdrianが危険箇所を通過するのに20分。だとすると普通のメンバーは1時間かかります。アイスフォールの動きが速いようで、アイスフォールドクターが毎日出動してます。25年間もこのアイスフォールでルート整備に当たるアイスフォールドクターでさえ今年のアイスフォールは「Have no idea what to do !」だそうです。アイスフォール以上の高度順応プランの変更を余儀なくされそうです。 (4/23)
 
 ロブチェイーストの頂を目指す
6000mに一泊してロブチェピークの山頂を目指します。細い稜線を15分で偽ピークに到着。それより先はフィックスがないのでこの偽ピークで終了。周りにはチョー・オユー、ギャチュンカン、プモリ、チャンツェ、エベレスト、ローツェ、マカルー、バルンツェ、アマダブラム、カンテガ、タムセルク、ヌンブール他、数々のピークが。  (4/22) 

 
ロブチェ、サミットキャンプ(6000m)の日本隊隊員。後方にエベレストを望む 
ロブチェBCで2泊の後、ハイキャンプをスキップしてサミットキャンプへ。標高差1100mののぼりはだらだらと長いですが、稜線に飛び出すとエベレストが拝めます。あいにくこの日は午後から降雪となり視界はありませんでした。 (4/21) 
 
 インドネシア人もお気に入りのロブチェイーストのBC。ちょうどローツェから日が昇ります
ロブチェの村から30分、ロブチェピークの懐、標高4900m付近のBCです。エベレストBCからたった400m下がっただけなのに、この空気の濃さはすばらしいです。緑の香りと湿気のせいでしょうか。安らぎます。インドネシア隊はこのボルダーが散在するBCがお気に入りです。カルステンツのあるニューギニア中央高地の風景に似ているからだそうです。  (4/20)
 
 ポーターたちでにぎわうロブチェのtea house
高度順応ロブチェピークに向かいます。アイスフォールの通過回数を減らすための順応です。特に今年はアイスフォールの状態が良くないので有効な順応となることでしょう。途中に立ち寄ったロブチェのティーハウスにはトレッカーの姿はなく、ポーターたちでにぎわっていました。飲んでいるものはもちろんお茶ではなくチャンですね。おばちゃんの作るチャンはこの界隈では一番おいしいような気がします。3リットルで500円くらいでした。温めて飲むのがおいしいですね。日本人のお腹には合うようですが、欧米人はめったに飲みません。  (4/19)
 
 部屋に入り込んだロシナンテ
 フィックスロープを一袋背負ってBCに帰ってきてびっくり!なんとロシナンテが私のテント、それもマットの上に寝転んでいるではあーりませんか!あまり元気がないので専用テントに移してあげました。さあロシナンテの今後の運命はいかに?!(4/18-4)
 
 white pod の前に結集したエベレスト登山隊のリーダーたち
 現時点でBCに到着している隊の代表者が集まりました。日本人は私ひとり。昨年も私一人でしたけど。なんでかなぁ?(4/18-3)
 
 開催の挨拶をするHimexのラッセル隊長
 午後はエベレストBCミーティング。アイスフォールより上のフィックスロープ工作を誰が受け持つかというミーティングです。従来のかなり不公平な状況を打破すべく昨年より始まったものです。今年はHimex隊キャンプで開催。ラッセル隊長の足元には10000mのフィックスロープが用意されています。隊の規模によってC2までの荷上げの量を決めますが、まだまだ公平とはいきません。インド軍隊は12名のシェルパを擁しているにもかかわらず、ひとつも運ばないつもりです。一応民主儀国家のネパールですからそんなことが許されるはずもありません。我が隊は2袋運ぶことになりました(一袋200メートル)。エベレストにも民主化の波が!(4/18-2)
 
 シャワーポンプが壊れても(撮影Bicky)
 午前8時にはBCに日が当たり、ロシナンテも姿を消したので、本日のエベレストミーティングに備えてというわけではありませんがシャワーを浴びることにしました。着替えはないのですが暖かい太陽の下、さっぱりです。(4/18-1)
 
 フライの下のロシナンテ
 フィックスロープトレーニングでちょっと高度を感じたので早めにテントに戻る。気温はマイナス6度くらいです。意識が朦朧としてきたそのときにテントの入り口がごそごそ。風かなと思うと寝息が!入り口を開けてみると一匹の犬がすやすや。触ってもびくともしません。トレッカーについてここまで来てしまったのでしょうか。寒さがこたえるのでしょうか。湯たんぽとダウンジャケットをかけてあげて寝ることにしました。この子の名前はロシナンテに決まりました。命名by Kazu (4/17-2)
 
 氷塔を上り下りするインドネシア隊員(撮影bicky)
 ベース入りした翌日は完全休養。翌日はプモリのキャンプ1(5700m)まで高度順応。そして昨日がプジャ。本日はキャンプ裏の氷河でフィックスロープの登下降トレーニング。実際よりも急峻な氷にロープを張り、ユマーリングと懸垂下降の練習です。(4/17)
 
 BCで「プジャ」
 ラマ経カレンダーの吉日に当たる日、安全祈願「プジャ」を行いました。シェルパにとっては重要な行事です。HIMEX隊のサーダー、プルバ・タシがお祈りをしてくれました。バーのない我が隊にとっては堂々とビールが飲める数少ない日です。帰り際にプルバがサンミゲルをポケットに忍ばせていたのが印象的でした。HIMEXキャンプにはバーがありますが、さすがにシェルパはOFF LIMITなのでしょう!(4/16)
 
 
ゴラクシェップより初めて望むエベレストは傘雲の中
 混み合うロブチェを後にして、一気にベースキャンプ(5300m)入り。途中カラパタールの麓のゴラクシェップ(5050m)でネット休憩。ここはNcellのアンテナが立っています。唯一ネットがつながるところ。昨年のBC「直樹ポイント」(毎日石川君が部ログ更新していたところ)はいまいちつながりません。持っているノートパソコンがぼろいせいだとは思いたくありませんが。ナムチェで二泊、クムジュンで二泊、ディンボチェで3泊という十分すぎる順応のおかげでメンバー全員快調にBC入りできました。しばらくBCに滞在です。(4/13)
 
 Himex隊ロブチェBCにて
 三日間のディンボチェ滞在の後、ロブチェ(4910m)にこまを進めます。峠を越えるとひときわ目立つHImex隊のロブチェBCが目に入ります。ちょっとお茶に立ち寄りました。偶然にも日本人ガイドの田村氏、女優の聖ちゃん、カメラマンの石川直樹氏(右から)に遭遇。これからロブチェピークに登るそうです。ちなみに一番左にはインドネシア隊隊長のアルデシール。アルデシールはこの後「聖ちゃん」を忘れられず順応に身が入りませんでした!(4/12)
 
 エベレストビューホテル付近でメンバーと
 
クムジュン(3790m)滞在二日目。高度順応というにはちょっと怠惰に「エベレストビューホテル」のテラスへ。今回のメンバーは6名+私。昨年に続きインドネシア隊と日本隊のコンビネーション。左から登頂メンバーのFajri, Kazu(上),Bicky, Ram(C2コック),Jimi(インドネシア隊BCマネージャー) ,Yuriko, そしてインドネシア隊リーダーArdeshir。そのほかここにはいませんが北面から登頂を目指すインドネシア隊が2名、現在ロールワリン方面に順応トレッキングに行っています。チベットが今年も開国されるのを祈るばかりです。(4/7)
 
ナムチェのカフェでインドネシアメンバー 
 
 4月3日に小型機でルクラへ(2800m)。天気が悪く、ぎりぎりフライイン。われわれの後はシャットアウト。雹と雷の中をパグディンへ。翌日ナムチェバザール(3440m)へ。欧米人もインドネシア人もBakaryが好きですね。Illy Coffee に入りびたりです。(4/6)
 
 
 
 
お待たせしました。2012年エベレスト日記がついに始まります。衛星通信機器を持たない貧乏隊はネパールテレコム(Ncell)に頼っているため更新できる場所が限られます。エベレストBCではまず更新できません。乞うご期待!